『日本書紀』にある野見宿禰と当麻蹴速の古代相撲は総合格闘技と思われる記述内容で、複数の古流柔術流派が起源としています。
第11代垂仁天皇7年7月7日(西暦200~400年と推定)
比類なき強さと名高い大和国の当麻蹶速と出雲国の野見宿禰が天皇の命で対戦することになりました。
二人はお互い足をあげて蹴り合った末に、宿禰は蹶速の脇骨を蹴り折り、腰を踏み砕いて殺してしまいました。
死を超越した格闘技、それが日本の国技といわれる相撲の原風景であります。
日本拳法はそれを復元する試みとの触れ込みもあり、実際に昭和40年代ごろまで大きな試合は四隅に立てられた柱にロープを張った「リング」で行われ、これは古代に相撲神事で使われていたものの再現とのことであったそうです。
日本拳法は、古流柔術の流れを汲んで誕生した格闘技である。
顔面・胴への直接加撃に加え、投げ、倒れた相手への打撃、関節技が認められたこの競技、現存する競技の中では、最古の総合格闘技といっていいかもしれません。